日記とか旅とか。

「さよなら」が言えない心を持っている

別れの言葉は沢山ある。
「さよなら」「ばいばい」「またね」「お元気で」「したらね」「したっけね」

北海道感が出てしまった

 

昔から、「さよなら」という言葉が苦手だ。
なぜか胸が酸っぱくなって、悲しくなってしまう。

きっと、今生の別れのようなニュアンスを感じてしまうのだ。
会おうと思えば別に会えるのに。連絡だって取り続けられるのに。
そもそも「さよなら」に限定的な意味があるわけでもないだろう。

でも、当時小学生の僕はそう思わなかった。
だって、携帯電話なんて持ってなかった。
手紙を書くことは苦手だ。電話なんてできっこない。


何度も引越をした。小学校は3校に通った。旭川と、新潟と、東京。
旭川は、まちのはずれにある場所。全校生徒はみんな顔見知り。それくらいの規模だった。田んぼの真ん中にぽつんとあるところで、農家の子供が多かった。

いろんなことを覚えてる。
全校生徒の縦割り班があって、上級生とすぐ仲良くなったこと。
収穫したヒマワリの種をクラスみんなでつまみ食いして、先生に怒られたこと。
敷地に生えてるグミの実をこっそり食べて帰ったこと。
「せいかつ」の時間にブロッコリーを育てたこと。
ベニテングダケが爆発した(?)こと。
音楽の合奏でバスマスターを演奏したこと。
全校生徒の半分くらいで手つなぎ鬼をしたこと。
あるクラスメイトが振り回してたジャージの上が僕の目のあたりに当たって、それからそいつと仲良くなったこと。
給食ではメグミルクが出てきたこと。牛乳パックの解体方法を覚えたこと。
「るりちゃん」が好きだったこと。プールバッグは同じのを買ったこと。

思い出は、止めどなく溢れ出ることが得意だ。
ちょっと思い返しただけで、おセンチな気分になってくる。

たくさんの思い出を胸に抱え、「さよなら」を言うことが、僕は嫌いだ。
言いたくなかった。だから、「したらね」という言葉でごまかした。

本当は、ごまかせないんだ。

 

新潟の友達、元気にしてるかな。「りゅうと」とはプロ野球の話で盛り上がった。僕はファイターズファンで、りゅうとはドラゴンズファン。ちょうど日本シリーズがその組み合わせになって、そしてドラゴンズが勝った。すごい悔しかった。負けた次の日に学校に行くのは、少し憂鬱だったかもしれない。
どうしてりゅうとがドラゴンズファンだったか、思い出せないや。
新潟のアピタでは、ドラゴンズ優勝セールをやっていた。
「りさちゃん」と、何がきっかけで仲良くなったか覚えていない。ただ、休み時間に遊ぶようになって仲良くなり、りさちゃんのお琴の発表会に言った覚えがある。すごい覚えてる。
学校からはビッグスワンが見えた。桜が綺麗な場所だ。

 

東京の友達には、手を伸ばせば会えるかもしれない。
「みそ」と一番仲が良かった。学校の帰りにブラックジョーク的なことを言いあって、大爆笑しながら一本道を歩いていた。
休み時間には男女関係なく外で「カタキ」という遊びをしていた。残機制個人ドッジボールみたいな遊び。あれが一番好きだった。
いろんな人がいたし、色恋の話も咲き始める年ごろだった。放課後にも校庭でサッカーをしたり鬼ごっこしたり、近所の公園で遊んだり、友達の家に行ったりした。都会に初めて住んだので、友達にすぐ会える環境がとても素敵だと思った。

でも、ぜんぶ“別れ”があった。出会いの数だけ別れがあるし、人一倍それが多かった。
「さよなら」は言えなかった。「またね」という言葉で誤魔化した。


また会えるか、分からないのにね。

略して「またね」。


東京の小学校は、学区の関係で中学校に進学する際に、大半の友人と離れ離れになってしまう。だから、友人が多いほうの中学校への学区編入を申請して、ちゃんと許可が下りた。準備もちゃんとしてた。

なのに、中学校進学と同時に、別の土地に引っ越した。

 

虚しさしか残らないんだよね。
友人を作ることに意味がない。だってリセットされちゃうんだもん。今まで構築してきたものが、一瞬にして意味を持たなくなるんだもん。若き日の自分はそう考えることすらあった。

 

ひとりで生きていけるなら、友達はいらない。
でも、世界はそんなかんたんにできていない。

 

大人になるにつれて、「友達」以外の存在を覚えていった。
先輩。知り合い。同期。フォロワー。
世界が拡がれば、自分と合う人に出会う確率も上がる。

「インターネットで知り合った人と会ってはいけません」も、時と場合による。遊牧民族はリア友よりもネットの友達の方が、関わりが長いということが往々にしてある。

だから、なおさら「さよなら」を言えなくなる。「さよなら」を言う練習をしなければならないかもしれない。


少しずつ、東京での「精算」をしている。
今日はバイトの退職届を書きに行った。本当は恩師や友達に会いたいけど、それを叶えることは難しそうだ。店長にも、やっぱり「さよなら」を言えなかった。

 

永遠なんて存在しない。そこには必然的な変化がある。
その変化を、もうそろそろ受け入れなければならない季節がやってくる。
自分にとっての要不要を見極めることは、今の自分に必要なんだと思う。

 

永遠にぬるま湯に浸かっていたいけど、それだと前に進めないから、ね。

 

 

いつの日かコーヒーに浮かぶさよならを丸ごと飲んでスッキリしたい

 

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もうすぐ春。うかうかしてると盗まれる。