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AIRDO初号機ラストフライト。22年間を噛みしめてきた。 #JA98AD〈20200119-20〉

遂にその日がやってきた。

前日の空模様とはうって変わって、2021年1月20日新千歳空港は快晴だった。

narry.hatenablog.com

JA98ADという、エアドゥ初号機のラストフライトに搭乗するため、新千歳空港を訪れていた。

ADO/HD020便、定刻12:20発、新千歳発東京羽田行。新千歳空港6番搭乗口より出発だった。

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ADO/HD019便として新千歳空港に到着したJA98AD。2021年1月20日撮影。α6400+SEL18135 ISO320 1/2000sec F6.3

同じくJA98ADが使用された東京羽田発新千歳行き、ADO/HD019便の姿を写真に収めていたため、保安検査場を通過したのは搭乗開始20分前くらいだった。

保安検査場Bを抜けてすぐ左に、6番搭乗口がある。マスコミとファンの多さに圧倒されてしまった。

 

出発前セレモニーでは、草野晋社長の挨拶があった。

この飛行機は、エアドゥの良い時もそうでないときも支え続けてくれた、社員にとって大変思い入れのある飛行機です。無事今回の退役を迎えることができましたのも、多くの皆様に応援していただいたおかげでございます。22年間、本当にありがとうございました。

──草野晋社長 挨拶より

 

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草野晋社長。α6400+SEL18135 4K24p60Mより切り出し

そして、社員の方に交じって、社長も横断幕を掲げていた。

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搭乗口での横断幕。α6400+SEL18135 ISO640 1/100sec F5.0

搭乗は普段と同じように、優先搭乗から行われた。続いて後方席が呼ばれる。
今回も後方席窓側を予約できたため、そのタイミングで搭乗した。

ボーディングブリッジには、初代ベアドゥのぬいぐるみと、メッセージが飾られていた。ベアドゥが持っていたものは、きっとデジタル化される前の出発案内板だろう。

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初代ベアドゥとメッセージボード。α6400+SEL18135 ISO640 1/2500sec F4.0

飛行機のドア前で、就航当時の搭乗券をイメージした搭乗証明書が配布された。

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搭乗証明書。左は中の人の私物。α6400+SEL18135 ISO1250 1/60sec F4.5

今回のフライトには偶然顔見知りの客室乗務員さんも搭乗していた。選ばれし6名となることは、きっと光栄なのだろう。

 

出発前、機内スクリーンとディスプレイには、数年前に使われていた機内安全ビデオが上映されていた。ベアドゥが登場するかわいらしいデザインのもの。

機内スクリーンに投影するプロジェクター形式は、今となっては珍しくなってしまった。画質もそこまで良くなく、当時の面影を感じさせる。

ディスプレイも、製造当時のブラウン管のままだ。今では液晶ディスプレイが殆どを占めており、こちらもなかなか珍しい。

 

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機内スクリーンとブラウン管(右上)。α6400+SEL18135 4K24p60Mより切り出し

飛行機が動き出して、機内アナウンスが入る。

本日、皆様にご搭乗いただいているこの飛行機、JA98ADは、当便でラストフライトです。初フライトの1998年12月20日から22年間、多くのお客様にご搭乗いただきましたことを、心より御礼申し上げます。

本日はご搭乗の記念に、当時の搭乗券のデザインをモチーフにした搭乗証明書を配布しております。なお、当便には6名の客室乗務員が乗務しておりますが、そのうちの3名は就航当時の制服、サロペットを着用しています。御用の際には客室乗務員に遠慮なくお申し付けください。

──出発前機内アナウンスより

 プッシュバックが終わり、飛行機が前に動き出すと、機外で業務をしていた皆さんがお見送りをしてくれた。恒例の光景ではあるが、心なしかいつもよりも長く手を振ってくれた気がする。

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手を振ってくれたみなさん。寒い中ありがとうございます。α6400+SEL18135 ISO500 1/1600sec F5.6

滑走路は01Lを使った。滑走路の入り口で少しだけ停止するなど、離陸も普段より心なしか丁寧だったように思う。雪の影響かもしれないが。もしかしたら管制官とやり取りをしていたのかもしれない。

がたがたと大きな音を立てて北向きに離陸したJA98ADは、大きく右にほぼ180°旋回し、南方向を目指す。

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大きく右旋回。右下には新千歳空港が見える。α6400+SEL18135 ISO250 1/2000sec F3.5

機内設備は、お世辞にもキレイとは言い難い。何せ22年前の機材だ。おそらく改修する金銭的余裕もそこまでないだろうし、改修に出せるほど余裕のある機材繰りでもないだろう。

それはタイムカプセル。自分が産まれたころの飛行機を、肌で感じることができる。

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古めかしさが残るシート。α6400+SEL18135 ISO6400 1/400sec F3.5

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ひじ掛けと、機内オーディオなどの操作盤。聴診器みたいなイヤホンの名残の2つ穴イヤホンジャックが残る。α6400+SEL18135 ISO2500 1/60sec F4.5

水平飛行に移りシートベルト着用サインが消灯すると、客室乗務員は機内サービスの準備を開始する。

機内サービスの飲み物は、いつものようにオニオンスープをお願いした。オニオンスープを飲み始めたのはいつからだろう。僕が小学生の頃にはもうあった気がするから、少なくとも10年は経っていそうだ。
オニオンスープは自分の故郷の特産品。母と搭乗した幼き僕も、一人で乗るようになった大人の自分も、同じものを飲んでいる。

 

機長からの挨拶があった。

本日お乗り頂いたこのJA98ADは、この運航をもって当社の旅客機としての役目を終えることとなりました。

この飛行機は当社の初号機として就航初便、1998年12月20日から飛行を開始し、社員136名であった当社が現在の総従業員数1000人を超えるに至るまでの成長を、日々の運航により支えてきてくれました。

昨日までの総飛行距離は6万119時間30分、総着陸回数4万8270回、総飛行距離は4400万キロ、地球を約1079周しました。

多少の古さを感じる部分もあるかと思いますが、22年間もの間、多くのお客様を安全にお乗せし続けてきた実績に感謝し、本日の業務を務めさせていただきます。

このフライトには偶然お乗りいただいたお客様も多くいらっしゃると思いますが、この飛行機のように人と共に安全を支えてきたものがあり、その上に現在の新たな安全が生み出されていることを、このフライトを通じ少しでも感じていただければ、最後に担当する者として幸いでございます。

この飛行機は旅客機として役目を終えることとなりますが、エアドゥはこれからも就航当時の気持ちを忘れず、北海道の翼としての役割を果たして参りますので、ご愛顧いただきますようお願いいたします。

ラストフライトを記念して、羽田空港到着後には当社社員が横断幕を持ちお出迎えする予定です。ぜひJA98ADの窓から写真撮影等を行っていただき、記念にしていただければと存じます。

それでは残り約1時間でございます。

JA98ADの最後の旅客便の運航を、微力ではありますがお手伝いさせていただきます。どうぞ引き続きごゆっくりとおくつろぎくださいませ。

重ねまして、本日は北海道の翼 エアドゥにご搭乗いただきまして誠にありがとうございます。

──機長あいさつより

 

思ったよりたくさんの離着陸を行っている。単純計算で1日6回は着陸をしていた。就航当初は1日3往復していたから、そのペースでずっと運航していたのだろう。

平均飛行距離は911km。羽田新千歳間は直線距離で821km、実際に飛行するときはそれよりも長い距離を飛行するので、これまた妥当な距離かもしれない。

地球を1000周することが、僕には想像ができない。そして、自分と同じ年齢の飛行機がこれほどの働きをしていることが、なんだか誇らしかった。 

 

幼いころ、僕は東京羽田─女満別線によく乗っていた。故郷に帰るために、だ。
あの路線はボーイング737-700(たぶん)が充当されることが多く、きっとJA98ADが充当されることは多くなかったんだと思う。記憶の中には3-3シートが刻み込まれている。

大きくなって大学に入ると、女満別だけじゃなく、新千歳や旭川、帯広、函館など、羽田から道内各地に行くようになる。そしてその頃になってやっと、ボーイング767-300ERに乗るようになった。

でも、昔からエアドゥを使っていたことは変わらない。帰省先から家に帰ることが寂しくて、離陸をしながら涙を流したあの夏。隣に座っていたご婦人がティッシュを渡してきてくれたけど、変に強がってお断りしてしまったこともある。

たくさんの思い出が頭の中をぐるぐるして、泣きそうになってしまったことは内緒だ。

 

飛行機が降下をして着陸態勢に入ると、雲に薄く隠れていた地上が見えてきた。雲の向こうには富士山のあたま。

千葉県上空から東京湾に抜け、アクアラインを望みながら右旋回。羽田空港C滑走路に着陸した。通算で4万8272回目の着陸。

1998年12月20日の初フライトから22年間、皆様に支えられて運航してまいりました。

エアドゥはこれからも就航当初の気持ちを忘れず、北海道の翼として飛び続けて参ります。

皆さまのまたのご搭乗を、心よりお待ちしています。

──着陸後機内アナウンスより

 

飛行機は509番スポットに到着した。スポットでは横断幕のお出迎え。隣では同僚機の「ベア・ドゥ北海道JET」が迎えてくれた。

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機内から見えたお出迎え。α6400+SEL18135 4K24p60Mより切り出し・角度編集済み

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機内から見えたお出迎え。奥には東京ゲートブリッジ。α6400+SEL18135 4K24p60Mより切り出し

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隣のスポットに停まっていた「ベア・ドゥ北海道JET(JA602A)」。α6400+SEL18135 ISO200 1/1600sec F4

フライト後は写真撮影タイムも用意してくれるなど、様々な対応をしてくださった。

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到着後の横断幕。こちらでもベアドゥがお出迎え。α6400+SEL18135 ISO160 1/1600sec F4.5

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到着後のJA98AD。この姿を見ることができるのも、最後。α6400+SEL18135 ISO200 1/1600sec F5.0

あの日の“普通”が、いつの日にか“特別”に。
だからこそ、毎日を大切にしなければならない。

 

草野社長が言っていた、「エアドゥの良い時もそうでないときも支え続けてくれた、社員にとって大変思い入れのある飛行機」という言葉が、ずっと心に残っている。

北海道方面の航空券が高すぎるのを直したかった。LCCの先駆けのようなものだ。一度経営破綻した。ANAの支援を受け再出発した。順調に機体と路線を増やした。海外へのチャーターもした。

 

 

そして今、「そうでないとき」だから、退役が早まってしまった。

 

自分だってそうだ。「良い時もそうでないとき」もある。
たくさんの人に支えられて、22年間を生きてきた。

 

バスで到着口に向かう我々を、客室乗務員の皆さんが、いっぱいの笑顔で送ってくれた。

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機上から手を振ってくださった客室乗務員の皆様。α6400+SEL18135 ISO250 1/1600sec F5.6

 

22年間ありがとう。君のことはずっと忘れないよ。

 

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ベアドゥといっしょ。 α6400+SEL18135 ISO250 1/1250sec F5.6