【下書き投下】ウマ娘のせいでスマホを買い替えたいのでみんなも一緒に悩もう
【おことわり】
これは2021年11月ごろに下書きに放り込まれたまま消息を絶った、とあるブログ記事に加筆修正をしたものです。
時間軸がズレていたり各方面に喧嘩を売ったりしておりますが、当時の時代背景を再現するため、ほぼ修正せず掲載しています。
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約1年半前、noteでこんな記事を買いた。
これを書いた後、結局OPPO A5 2020を購入した。一括28800円、確か1万ポイント以上が楽天ポイントとして戻ってきたはず。
OPPO A5 2020は格安SIM系各社から発売されたエントリーモデル。
Snapdragon665 / RAM4GB / ROM64GBと、2021年の感覚では多少物足りないスペックだ。まあエントリーモデルだから。
当時の私はそれでも事が足りた。スマホはそれなりに使えれば良かった。
しかし、2021年2月下旬、私の運命を大きく変える出来事が起こった。
ウマ娘 プリティーダービーのリリースである。ヤットミンナアエタネー
こいつはヤバい。ストレージ容量をめちゃくちゃ喰う。全データDLをしていないのにも関わらず、約8GBを使用している。弊スマホはシステムで20GBほど使用しているから、使えるメモリのうち20%弱をウマ娘が占めていることになる。
生活の2割がウマ娘。これはだいぶ毒されている。
当然ながら、アプリはこれだけではない。LINEだってTwitterだって、Googleフォトだって使っている。
写真や動画などはSDカードに移行できるが、アプリは移行できない。
以前はデバッグツールを使ってmicroSD内に「疑似内部ストレージ」を作ってそこに保存する、なんてことも行ったことはあるが、素人にはおすすめできないやり方だった。それでmicroSDカードを1枚パーにしている。
ストレージがカツカツになるとなにが起きるか。Googleの一部機能が同期できなくなる。もっと簡単に言うと、Gmailの通知が来なくなる。
由々しき問題である。重要な知らせをすぐに知ることができない。
流石にこれはマズい、と思いながら半年が経過した。いつものことである。
今使っているA5 2020には、ストレージ以外の不満点が特にない。強いて言うならRAM不足。ウマ娘のプレイ画面が時折カクつく。まあエントリーモデルだから。
ということでスマホを買い替えたい。やっと本題。
以上を踏まえた上で、自分のスマホに対する要望を整理したい。
・OS……Android
・CPU……それなりに良ければいいや
・RAM……6GB以上かな
・ROM……128GB以上が絶対条件
・カメラ……前はこだわらなかったけど、今は少しこだわってみたい気持ち
・DSDSもしくはDSDVである方が望ましい(今はahamoと楽天モバイルユーザー)
・NFC
Xperiaは最近だいぶマシになってきたと聞く。ミラーレス一眼シェア1位の「α」のエッセンスが注ぎ込まれたカメラが付いているらしい。かく言う私がαユーザーだ。
Google Pixelは身近なユーザーがいる。ハイエンドなのにコスパがいいらしい。
他のブランドはほとんど見かけない。みんなあいぽんばっかり使う
こうなってくると、もうXperiaとPixelしか見えなくなる。君しか見えない
ここから絞り切れない定期なのである。
Sony XperiaとGoogle Pixel
もうXperiaとPixelしか見えなくなったので、この両者で検討を行いたいことと存する。
なお、XperiaはdocomoもしくはSIMフリー版で、PixelはSIMフリー版のみで検討をすることとします。
Xperiaのシリーズ体系と私の条件のすり合わせ
まず、Xperia。現行シリーズは「Xperia PRO」「1」「5」「10」「Ace」の5種類ある。「8」もあることにはあるが、存在感がほぼない。
「PRO」以外は世代が新しくなる毎に「Ⅱ」などのギリシャ文字が増える。「Xperia 1 Ⅲ」のように。ちなみに読みは「えくすぺりあわん まーくすりー」だ。
この命名規則はSonyのミラーレス一眼カメラ「α」にもみられる。
「1」「5」「10」は「Ⅲ」が最新(5Ⅲは未発売)、「Ace」は「Ⅱ」が最新だ。
「Xperia PRO」には「PRO」と「PROーI<アイ>」がある。PROシリーズはミラーレス一眼「α」と連携させることが想定された機材、「PRO-I」は1型センサー(デジカメくらいの画質のセンサー)を積んだ「Xperia 1 Ⅲ」だ。
この2つは他のシリーズより高価であり、今回は買わないかな……という感じ。PROに関してはHDMI入力ができるんだけど、その機能、私は使う機会がない。25万円。5Ⅱと1Ⅲが買えてしまう。
ROM 128GBという条件を考えると、「Ace Ⅱ」も消える。これはROM 64GBという、Sony的エントリーモデルだ。
カメラにこだわるとすれば、「10」の選択肢も消えてしまう。「PRO」「1」「5」では、「α」の操作体系によく似た「Photography Pro」機能が使える。これがだいぶすごい。
Photography Pro要らなければ「10Ⅱ」で十分なんだけどね……
で、今買えるものは「Xperia 1 Ⅲ」「Xperia 5 Ⅱ」、今後発売されるものが「Xperia 5 Ⅲ」だ。
一応「1Ⅱ」も購入できなくはないが、SIMフリー版はつい最近売り切れとなった。
Pixelのシリーズ体系と私の条件のすり合わせ
Nexusだった頃から少し尖っていたGoogleのスマホ。Pixelもなんだかんだで第6世代に突入しました。Pixel6が発売されたばかりだというのに、もうPixel7用Tensorチップがリークされてるとかされてないとか。
Pixelは「現行モデル」と「型落ちモデルのリメイク版」に大きく分けられる。執筆現在の現行モデルは「Pixel 6」「6 Pro」、リメイク版は「5a (5G)」「4a」だ。
リメイク版はベースが型落ちではあるものの、スペックがパワーアップしていることが多いため、主にコスパ面で侮れない。
例えば、「Pixel 5」と「Pixel 5a (5G)」では、RAMが8GB⇀6GBへ下がっているものの、画面が大きくなり(6⇀6.34インチ)、電池容量も大きくなっている(4080→4680mAh)。
(とここまで書いて、結局Pixelは選択肢から消えてしまった)
ソニーストアに行ってきた
11月某日、とある機会がありソニーストア札幌に行ってきた。実機を触ってみたかったからだ。
キャリア版はいろんな場所で触れるが、ヤツにはキャリアの余計な色んなアプリが入っており、正直好きではない。その点、SIMフリー版はほとんど素のままなので、より実用に近い状態だ。
SIMフリー版「1Ⅲ」は未発売であるため、この実機が触れるのは北海道ではここだけ。北海道に1台。オンリーワン。
画面を見た第一印象は「4Kってすげー」だった。とにかく画面が綺麗。リフレッシュレート120Hzの画面はヌルサク。6.7インチの画面は数字よりも大きく感じなかった。21:9のアスペクト比を採用しているからだろうか。
なにより握りやすい。スリムなボディは大型化するスマホの中でより一層の“スマートさ”を感じるだろう。
ただ、高い。だいたい15万円である。
15万円。
1 5 万 円 。
大事なことなので2回書きました。
2年半前に購入したカメラはだいたい15万円でした。α6400って言うんですけど。
使用頻度と生活の中での重要度を比較すると、同じ15万円でもスマホに軍配が上がる。スマホは生活の一部である。カメラも人生ではあるが、無いと生活が回らなくなるほどではない。
しかし、使用頻度が高いほど、破損してしまうリスクも高くなる。現に今のスマホの画面はしっかりヒビが入っている。
そのあたりをどう考えるか、となっている。
今までの私は「安いスマホを頻繁に買い替える」という思考だった。だから、8年の間に5台、2年に1度以上買い替えてきた。
しかし、その考え方は古いような気がしてきている。半導体足りないし。
仮にXperia1Ⅲを3年使用するとして、年間5万円
5万円……
安い単焦点レンズなら買えてしまう。これだからカメラ脳は
気を取り直そう。
今使っているOPPO A5 2020からXperia1Ⅲに買い替えたとして、生活が劇的ビフォーアフターするかと言えば、そうではないだろう。
みんなスマホで何してる?Twitterとゲームしかしてなくない?
各方面に喧嘩を売っている気がする。でも私はだいたいそう。Twitterとゲームくらいしかしてない。あとInstagram
なので、考えを改めることにした。
おれは16-105mm F1.7-2.8 Zeiss T*レンズを搭載したαを買うために15万円を払う
(下書きはここで終わっていた)
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【あとがき】
勢いって怖いですね。かねがねから「スマホ変えたい……」って漏らしていた友人にホーム上で背中を押され、私はあえなく「注文を確定する」ボタンを押してしまいました。結局買ってしまったのはSIMフリー版Xperia 1 Ⅲ。当時は15万円でしたが、現在は14万円台にまで値下がりしており、その上ご愛顧クーポンなどで8000円ぶん、それに1万円の期間限定キャッシュバックで実質13万円くらいにまでなりました。まあXperiaケアプランに加入したので結局14万円なんですけどね
2022年3月になってなぜ購入したか?
ひとつめは、現在使用しているOPPO A5 2020を購入してから、スマートフォンの一般的な寿命と言われる2年が経過したこと。そして、A5くんの寿命が近づいていることをうすうす感じ始めたこと。
ふたつめは、ここ最近「Xperia 1 Ⅱ<ドコモ版>」や「Xperai 5 Ⅱ<ドコモ版>」など、型落ちXperiaの値下げが各方面で行われていたこと。しかし彼らはすぐ在庫がなくなるし、そもそもキャリア版スマホが嫌い苦手なので、踏ん切りがつかなかったこと。
みっつめは、SIMフリー版Xperia 1 Ⅲが2月に値下げされたこと。「本命だったけど高価で手を引っ込めていたスマホ」が、少しだけ近くなりました。
よっつめは、Android12のアップデートで、SONYのデジタルカメラや「Xperia PRO-I」でしか使えなかったシューティンググリップやリモートコマンダーが使用できるようになること。今使用しているα6400と共通利用ができるので、シューティンググリップも近々買います。多分。
そんなこんなでXperia 1 Ⅲを買ってしまった私ですが、まだ届いていません。ケースも画面保護フィルムも手配しておりません。中華スマホって画面フィルムが最初から貼られているじゃないですか。ケースも最初から付属しているじゃないですか。
なんかそのノリで2日が経過したんですけど、よく考えたらどっちも付属してないんですよね。そういえばそうだったわ。国産スマホ買うの久しぶりだから仕方ないね
Xperia 1 Ⅲレビューもきっと書くよ
ベア・ドゥ北海道JETラストデーフライト。見送る側は寂しいけれど。 #JA602A <20211208-09>
この記事の目的となったフライトは↓
5時にホテルを出発し、リムジンバスに揺られ早朝の羽田空港へ。
退役してしまう「ベア・ドゥ北海道JET」(B767-300, JA602A)のラストデーフライトに乗るため。
本当はラストフライトであるADO/HD32便に乗りたかったけど、都合が合わなかった。だからせめて、退役日のフライトに乗ることとした。勝手に“ラストデーフライト”と呼ぶね。
羽田空港は割と混雑していた。スーツ姿の人も多い。ビジネス需要も回復してきたのであろう。
私が乗るのはADO/HD11便。新千歳発東京羽田行、定刻06:50発。56番搭乗口より出発する。
56番はAIRDOが多く利用する搭乗口だ。以前もここから乗ったことがある。
スタバでコーヒーとスコーンを買い、窓側のベンチに腰掛ける。朝焼けをバックに浮かび上がる飛行機は美しい。座った場所からはちょうどベア・ドゥが見える。
たまたま知り合いが働いていたのは余談。
JA602A、ベア・ドゥ北海道JETにとって「最後の“いつも”」が始まった。
56番を通過し、最後の搭乗をする。今回の座席は28G。進行方向右側の座席を選択しがち。
機内のスクリーンでは、むかし使用していた機内安全ビデオが流れていた。ベア・ドゥデザインのかわいらしいものだ。
昨夜のロコンジェットと違い、搭乗客はまばらだった。旅客需要はかなり落ち込んでいるし、札幌行き一番便が混雑するには、まだ時間がかかりそうだ。
搭乗はかなりスムーズで、11便は定刻に出発した。
タキシング中のアナウンスは“いつも通り”だった。滑走路に向かう足どりもスムーズ。それはAIRDOで過ごした5年間のうちの「いつもの1日」であることを思い起こさせる。
我々のような利用客を目的地まで安全に運ぶ。
機内にJA98ADのような古さは感じない。機齢は23年、ちょうどJA98ADや私と同じくらいだが、JA602AはANAから移籍してきたという歴史を持つ。ANAでも特別塗装機「モヒカンジェット」として運航してきた機体で、ANA時代に座席リニューアルを行ったはずだ。記憶違いかもしれないけど。
写真撮影をしているうちに、1時間半ほどのフライトは、あっという間に過ぎていく。
機内ドリンクサービスでは「ほたてスープ」を選んだ。オニオンスープでおなじみの「グリーンズ北見」と「北海道ぎょれん」がコラボレーションしたスープだ。ホタテの旨味が身体に染み渡る。市販してほしい。まだ?
機内販売では2022年カレンダーと「ベア・ドゥ北海道JET退役記念キーホルダー」を買った。オタク、こういうとこある。
着陸前のシートベルト着用サイン点灯直前、とあるCAさんが「あまりお話できなくてすみませんでした」と声をかけてくれ、ベア・ドゥ折り紙のメッセージカードを手渡してくれた。いやいやとんでもございません。まことに恐縮です。
そしてJA602Aは、スムーズに新千歳空港に進入、着陸する。
着陸後、搭乗口にタキシングするまでの間のアナウンスで、JA602Aの退役に関することに少しだけ触れられた。ラストフライトではもっとアナウンスするだろうけど、一番便はきっとこのくらいでいい。
搭乗口に到着し、降機する際に、ベア・ドゥ北海道JETがデザインされたポストカードとステッカーまで頂いてしまう。ほんとにいいんですか?ありがとうございます。
そしてJA602Aは、折り返し羽田行きADO/HD14便として旅立っていった。最後の1日は、まだ始まったばかりだ。
見送るだけなのは寂しい。だからせめて、笑顔で送り出した。
これからも"最後"を見届けるばかりなのだから。
年末に多忙な生活をしてたら水道が凍結した話
ぼく「あれ……水落としてたのに出ないぞ……」
年末のある日、というか5連勤初日、深夜に帰宅して蛇口を捻ると、水が出てこなかった。何を言っているかわからねーがおれも何が起きたか分からなかった
え、マジ?嘘だろ?
年末のクソ忙しい時に、突然断水生活が始まった。ラブストーリーは突然に。
我が家には暖房が1台しかない。しかも据付式石油ファンヒーター。だから室内のどこかに運んでピンポイントで暖めることはできないし、ストーブを買いに行く時間すらない。早朝から夜まで働いていると、とてもじゃないけど家電量販店まで行く元気がない。
「もし凍結したら」の対処法で真っ先に出てくるのが「蛇口にタオルを巻いてお湯(熱湯はダメ)をかける方法」。でもな、断水してんだわ。お湯をかけるという勿体ない方法なんて取れない。
だから私は、蒸しタオル。ミネラルウォーターをタオルに染み込ませ、電子レンジで温める。これを巻く。
根気よく取り組んだ結果、風呂場の「水」だけが復活した。他はダメ。そんなわけでほぼ1週間、私はこの風呂場水だけで生活することとなる。
・自炊……休止
クソ忙しいのもあるし、食器洗いも満足にできないので。しかしコンビニで夕飯を買ってくるのでシンクが大惨事
・トイレ……タンクに手動で水を入れる。2Lペットボトル1回と風呂桶3杯分でいっぱいになるという知見を得る。ウォシュレットは当然使用不可
・洗濯……水量指定してから手動で水を入れる。洗濯機の音を聞いてすすぎ水を入れるタイミングを探るようになった
・風呂……比較的近所のスーパー銭湯に通う。回数券を買ったし1日2回(朝夜)行ったりした。時間帯による客層の違いを知る。デカい風呂は最高。
・その他……我が家の水道管は風呂場の屋根裏から分岐して流れていることを知る。あと屋根裏から吹き込む風が寒すぎる
そしてスパ銭ヘビーユーザーとなりながら年末繁忙期を乗り越え、スパ銭で一息入れてから我が家に帰ると、風呂場の水すらまた出なくなっていた。何を言っているかわからねーがおれも何が起きたか分からなかった
水落とししたのに!!なんで!!!
悲しくなったので、半額になっていたSushiを食べて寝た。
1月1日。新年あけましておめでとうございました。ということで、札幌駅前の某家電量販店で電気ストーブを購入する。売り尽くしセールで安くなっていた、最大900Wのつよめカーボンヒーター。
速攻で家に帰り、石油ファンヒーターで家全体を暖めつつ、電気ストーブで風呂場周辺を重点的に暖める。屋根裏配管を暖めればある程度何とかなる(かもしれない)という情報を得ていたので。
ファンヒーターの設定温度も上げに上げる。普段は17℃で生活しているのだが、今回は25℃。暑すぎて半袖に着替えていた。これが北海道の家だ。
暖め始めて2時間ほど経った頃、試しに台所の水道を開けてみたら、ちょろちょろと水が出てくるようになった。しばらく放置していると、空気が出てくる破裂音のようなものの後に、水が勢いよく出てきた。
「み、水だー!」
砂漠を彷徨い歩く人がオアシスを見つけたような声を出してしまった。これが水。Watrer. 水のありがたみを知る。
ほどなくして洗面所の水道も開通。高速道路みたいに言うじゃん
しかし、どうしても給湯器系列・トイレ系列が復活しなかった。元日も結局スパ銭へ。しかし、「帰っても家の水が出ないんだよな……」という心配事が払拭された心で浸かる大きなお風呂は、昨日よりも気持ちよく感じた。
翌朝、気づくと給湯器系列の水も出るようになっていた。復旧は突然に。
ということでまとめ。
・冬は水落としをしよう!
・もし凍って、蛇口を暖めてもなんとかならなかったら、風呂場を暖めるといいかもしれない!
・特に水道凍結において、電気ストーブをサブ機として持ってると便利!
みんなも水道凍結には気を付けような!
超偶然「ロコンジェット」に乗ることになった話 #JA607A <20211208-09>
どうも、飛行機オタクです。
以前、AIRDOの初号機である「JA98AD」ラストフライトに搭乗した話を書いた。
そしてまた、ラストフライトに搭乗しようとしている。
今回は、その前移動でAIRDOの最新ラッピング機、ポケモンとのコラボ機である「ロコンジェット北海道」に偶然搭乗したはなし。
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2021年12月1日、ポケモンとエアドゥがコラボした特別塗装機の「ロコンジェット北海道」(JA607A)が就航した。アシンメトリーのデザインで、機体右側にロコン、左側にアローラロコンがデザインされている。
そして、その入れ替わりとして、今まで特別塗装機としての役割を担っていた「ベア・ドゥ北海道JET」(JA602A)が退役することになった。AIRDOオタクであるとの自覚がある中の人は、当然ラストフライトに搭乗したいと考えた。
しかし、退役日の12月9日はド平日。中の人も当然仕事である。
そして、昼からの出勤だった。
あれ、これ「ラストフライト」は無理でも「ラスト“デー”フライト」なら行けるのでは??
お出かけオタク的発想である。
そして当然のように飛行機を直前予約した。2021年12月9日、ADO/HD11便である。
この便は羽田から新千歳へ向かう1番便。これに乗るには、前日までに羽田に移動していなければならない。
12月8日も当然仕事なので、退勤してから間に合う便としてADO/HD36便を選んだ。新千歳を20時ちょうどに出発する便である。
自家用車で移動して、新千歳に到着したのが18時半過ぎくらい。乗る便は決まっていたが、もし万が一、万万万万が一のことがあったら困るので、空席情報だけ確認して、当日空港のカウンターで予約した。
手荷物を預けてはたと気づくのである。
「そういえばロコンジェットどこ行った?」
気になってFlightradar24を確認すると、JA607A(ロコンジェットの機体番号)は、今まさに新千歳に向かって降下をしているところだった。他に新千歳に接近しているAIRDO機はない。
到着時間は19時20分。折り返し便として十分考えられる時間。
「え?マジ??」
割とお客さんがいっぱいいた新千歳で呟いてしまったのは内緒である。
退勤してすぐ空港に向かったので、夕飯を食べていなかった。
新千歳空港で、滑走路を眺められる場所は、他にフードコートしかない。
おなかすいた。
フードコートのはなまるうどんで夕飯を買った。この時点で搭乗機出発45分前である。ギリギリを生きていたいから。
うどんをかっこんでいると、派手な機体が着陸するのが見えた。ロコンジェットである。
そして、9番エプロンに収まっていく。ADO36便は9番から出発する。これ、大正解。本当にありがとうございました。またの搭乗を心よりお待ち致しております。
保安検査場を通過したのは検査締め切り10分前。普段は5分前とかなので、実は余裕をもっていたりする。
通過して、9番搭乗口に目を向けてみると、
ロコンジェット。神様仏様ロコンジェット様。
心ウキウキワクワク。仕事の疲れなんか全部吹っ飛んだ。クリアアサヒは家で冷えてないけど。
機内に足を踏み入れると、ロコンとアローラロコンのヘッドレストカバーがお出迎え。機体前方の「旧ANAプレミアムクラス」には、ぬいぐるみも飾ってある。
テンション爆上げである。
内装では、ヘッドレストカバーが最大の特徴。ロコンとアローラロコンの位置は塗装とリンクしていて、機体右側(つまり搭乗するときの左側)にはロコン、左側(同右側)にはアローラロコンが、それぞれおねんねしている。
中央列座席の真ん中(座席番号で言うD)は、ロコンとアローラロコンが並んでこっちを見ている。かわいい。
つまり、
↑進行方向↑
窓│A B│通路│C D E│通路│F G│窓
という座席配置のうち、ABCはおねんねアローラロコン、EFGはおねんねロコン、Dはこっち見てるロコン&アローラロコンということになる。かわいい。
サービス面も特徴的だ。
機内サービスの無料ドリンクは、ロコンとアローラロコンがデザインされた特別仕様のカップ。
ドリンクサービス時に客室乗務員のみなさんが着用しているエプロンも、ロコンとアローラロコンの特別デザイン。
しかもこれ、買える。(12月20日まではロコンジェット内のみの予定)
ロコンジェットに乗りたいって連呼してた友人へのお土産に買った。喜んでくれるだろうか。
機内放送時には、事ある毎に「この機体はポケモンとコラボレーションした“ロコンジェット北海道”であり──」と流れる。ここまで力を入れて企画した特別塗装機だ。あんまり興味のないビジネスマンも「そういえばそんなこと言ってたな」なんてほんのり思い出すくらいには、さりげないアピールが為されていた。
しかし、よく考えてみると、「ロコンジェット」は「ベアドゥ北海道JET」の置き換え。機材更新の一環である。
つまり私は、退役機に乗るためのフライトで、新規就航機に乗ったことになる。
世代交代をこの身で体感し、この目で見るのだ。
サヨナラは悲しいことだけではない。それはJA98ADの時にも感じた。
出会いがあり、別れがある。それはポケモンで育った僕たちが、きっと一番わかっている。
今日の東京での宿は、夜景が綺麗なビジネスホテル。ぐっすり眠って早起きできるだろうか。てか起こして(起床4時半予定)
気づくとmont-bell沼に落ちていた話
アウトドアブランドのmont-bell(モンベル)にガチハマりした。ここ2か月で3万円くらい溶かしている。
1975年、辰野勇は2人の山仲間、真崎文明、増尾幸子と共に「株式会社モンベル」を設立しました。
以来“Function is Beauty(機能美)”と“Light & Fast(軽量と迅速)”をコンセプトに商品開発を行っています。モンベルの歴史は、近年のアウトドア用品の進化の歴史といっても過言ではありません。
出会い
モンベルとの出会いは1年と少し前だった気がする。両親がいち早く沼に浸かりかけていて、仕送りみたいな感じでTシャツを送ってきた。ウイックロンのTシャツ。オホーツクの村デザインのもの。
着心地が良く、「モンベルくん、ちょっといいかも……」なんて思っていた。愛すべき故郷であるOKHOTSKの文字が背中にプリントされてるし。恋の前触れみたいな感じ。
その後、なんやかんやで折りたたみ傘と手袋を買った。特に手袋は活用する場面が多く、特に愛用している。クリマプロ200、ブラックである。
手が常にヒエヒエで、手を繋ぐ事を拒否されたこともある私なので、「コンパクトで暖かい」手袋は神のように見えた。いや実際のところ、神。
mont-bell沼へ飛び込む
そして今年8月。自転車通勤をしている私は、度重なる通勤時の雨に悩んでいた。
カッパもポンチョもカッコ悪い(個人的な意見)し、すぐ破れそう(個人的な意見)で、ぜんぜんスマートじゃない。おまけに収納がめんどくさい。買った時に入ってる袋にちゃんと収めた試しがない。
どうせなら良いものを買って長く使いたい。そう思った我々取材班は、その購買意欲を解明するため、モンベル 札幌赤れんがテラス店へと向かった。
最初っからそんなお高いものを買えるわけじゃない。
その点、モンベルはハイエンドからエントリーモデルまで、幅広い品揃えで出迎えてくれる。
ゴアテックス(注: めっちゃすごい高機能素材)使用のものなんて、おいそれと買えない。1着2万円はするからだ。流石に厳しい。
そんな私を、モンベルは自社開発の素材で出迎えてくれた。「ドライテック」という素材を使用した「サンダーパス」は、私のお気に入りになった。お値段10560円。
まあまま高い。一つ下の「レインハイカー」と迷ったが、それでもサンダーパスにした理由は1つ。
前面チャックが止水性の高い構造で、開閉が簡単であるということだ。
簡単に言えば「チャックだけで良い」。チャックしてからその部位をマジックテープで留める構造では無いから、非常に楽。人生、楽すべし。
雨では下半身も濡れてしまう。雨の悩みは、上半身よりもむしろ下半身の濡れだった。
そこで私は、エントリーモデルの「レインハイカー」を選んだ。5000円くらい。まあまあ良心的。
自転車に乗るので、パンツの裾がボロボロになりやすい。こっちは割と消耗品扱いである。
今でこそユニクロのスキニーチノパンを履いているが、スリムチノパンだった頃は右裾がすぐボロボロになった。あの頃の悔しさを俺は忘れていない。
そんなこんなで雨装備を手に入れた私は、雨でも快適な自転車通勤ライフを手に入れたのであった。めでたしめでたし。
で終わるわけが無い。
沼にハマる
今度は防寒着が必要になった。理由は2つ。
1つは、今持っている冬用のコートがよわよわ装備であること。
もう1つは、(色々あって)仕事で防寒着が必要になったことだ。
コスパが良すぎる高機能レインウェアを生み出すモンベルには、コスパの良い防寒着も当然あるだろう。そう思った我々取材班は、再度モンベル 札幌赤れんがテラス店へと向かった。
実のところ事前に下調べをしており、インシュレーションにはダウンと化繊織の2種類があることを知っていたし、ダウンのラインナップは豊富であるのに対し、化繊織はそこまで豊富ではないことも把握済みだった。
ダウンはめっちゃあったかいけど、化繊織はたぶんそこまでではない。
つまり、今時期の北海道(外気温1桁~10℃台)で、サイクリングを行う場合は、おそらくダウンだと暑い。
ということで化繊織のインシュレーション、「U.L.サーマラップ ジャケット」を購入してしまった。11000円くらい。めっちゃ軽い。229g(平均重量)。
そういえば(先述した)グローブも、品質的に問題はないが、指先のグリップが取れてきたことを思い出した。
仕事の防寒着としても、暖かいグローブはやはり必要だ。あとグリップが取れるのは困る。買い足し。
ということでグローブも買った。「ウインドストッパー サーマルグローブ」である。お値段4000円くらい。
「ウインドストッパー」シリーズは、「ゴアテックス インフィニアム™ ウインドストッパー® ファブリクス」という素材を使用している。防水性よりも耐寒防風性能を重視する素材らしい。
普通の「ゴアテックス」は黒色のタグであるのに対し、「ゴアテックス インフィニアム™」は白色のタグが目印。
ゴアテックスのイメージは「表面がツルツルする防水素材」なイメージがある中、このウインドストッパーはモコモコとした肌触りだ。内側も起毛地であり、暖かくて履き心地がよい。
厚手なのに指を動かしやすい。指先と手のひらには滑り止め+補強のためにやぎ皮を使用している。これがまた「滑り止め」の役割をしっかり果たしている。
「手袋を履く」って北海道弁なんだよね
悪天候の海岸で実際に使ってみた
という訳で、(色々あって)海岸清掃のボランティアに参加する機会があった。
海岸は前日までの雨でぬかるんでおり、風が強い。気温7℃。ボランティア自体は1時間程度。
天候に恵まれるとは限らないため、レインウェアも含めたフル装備で臨んだ。
上半身: エアリズムインナー + 普通に服 + U.L.サーマラップジャケット + サンダーパス ジャケット
下半身: 普通にパンツ + レインハイカー パンツ
手: ウインドストッパー サーマルグローブ
結論から言おう。全然寒くなかった。マジ強い。
レインウェアも手袋も防風性能が高く、海から吹き上げる風にビクともしない。
30分ほど経過すると、突然雨が降ってきた。海風に乗って、大粒の雨が我々を容赦なく叩く。山の天気同様、海の天気も変わりやすいのである。
しかし、レインウェアが強かった。ずっと快適。行動を共にした友人はすごい寒がっていた。彼らもジャンバー着てたんだけどね。
サーマラップも暖かい。本当に化繊織か?というくらいの保温性能があるように思える。価格と軽さを考えると、東京の冬くらいならこれ1枚で越せるんじゃないか?と思うくらい。
雨に当たっていたはずなのに、つよつよ手袋の内部は全く雨を感じない。清掃が終わって手袋を脱いでみると、雨のせいで表面は濡れていた。多少の雨は通さない性能であることかよく分かる。
分かりきっていた結論
以上が私の沼内部からのリポート。こら信者増えますわ、という性能&コスパ。
ここまで信用できるギアを作り出すメーカーなら、喜んでお金を溶かしていきたい、という所存。もはやオタクの仲間入りをしてしまいそうな勢い。
“Function is Beauty(機能美)”と“Light & Fast(軽量と迅速)”という2つのコンセプトに激しく共感してしまった私は、次のギアを手に入れるため、またしてもモンベル 札幌赤れんがテラス店へと向かうのであった。
卒業レポート - 推し
※この文章は、文春野球学校内の卒業レポート(注:論文ではない)として公開したものです。
そういえば、推しについて書いたことがない。
みなさんは「推しを推すきっかけになった出来事」を覚えているのだろうか。
私は、覚えていない。
意識しないうちに、気づくと応援していた。説明が難しい。
推しは高校生ドラフトでファイターズに入団した。甲子園で活躍したスターとして。
しかし、現実はそう上手くはいかないものだ。二軍暮らしが長く、たまに一軍に昇格し代打で登場しても、悉く凡退してしまう。代打で出場も一度もバットを振らずに見逃し三振、ということだって覚えている。
実のところ本塁打は何本か放っているのだが、記憶に残るものはほとんどない。初ホームランがビデオ判定になったことくらいだろうか。
二軍以上一軍未満の実力からずっと抜け出せなかった。そんな彼は、いつしか「二軍の帝王」と呼ばれるようになった。
そんな彼を推していた若き日の私は、やがて期待することをやめた。そしていつしか、私は推しを「推さないと装う」行動に出た。
凡退は当たり前。そもそも一軍で打席を与えられることさえ奇跡だし、グッズも全選手対応のものだけで良いと思っていた。だから出場機会でも「どうせ凡退する」と思っていたし、凡退したら「そらみろやっぱり」と叫んだ。
それで自分だけが推しのことを見て、自分だけのものであれば良いと思っていた。これを現代では「同担拒否」と呼ぶのだろうか。
結局推しは大した活躍もせずにファイターズから戦力外を通告され、トライアウトを経てスワローズへ移籍する。
新天地では、今までの不振が嘘であるかのように活躍した。移籍初年、開幕4戦目でチームの連敗を止める適時打を放つ。大松と共に左右の代打として、試合の重要な局面を任されるようになった。2年目には史上初の開幕カード代打サヨナラ満塁ホームランを打つ。
今までを知る私は、嘘だと思った。でもそれは真だ。「一発で決めたか」という実況は、耳の奥に染みついて離れない。お立ち台でのはじけるような笑顔は、私の眼にはまぶしく映った。
今までが、嘘だったのかもしれない。
スワローズファンから救世主という扱いを受ける推しは、自分が知っている推しではなかった。知らない誰かだ。
今まで応援していた自分はなんだったのだろう、という気持ちになった。活躍してほしくない訳ではない。今まで活躍することが殆ど無かったから、活躍ということに慣れていない。
移籍してから、推しが自分以外の人から推されている。その事実が恐怖だった。
自分だけのものじゃなくなった。まるで自分だけが知る埋蔵金が、大衆の目に晒されたかのように。お気に入りの隠れ家レストランが、グルメ番組で紹介されたように。
目立たない推しを推すこと自体がアイデンティティになっていた。推しが目立つようになると、それはアイデンティティではなくなる。喪失感の正体は、きっとそれだ。
こんな様では、ただのこじらせファンだ。
そんな推しも移籍三年目には出場機会を与えられなくなり、そのまま戦力外。
拾ってくれる球団もなく、金融機関に転職した。個人事業主からサラリーマンへの逆脱サラ。それはただの“サラ”。
なんだかんだ、転職先でも頑張っているらしい、という話を伝え聞く。野球選手から一般企業に就職した実例として、度々メディアに登場する。プロ野球選手OBとして、たまにイベントに出たりする。
期待をしなくなった理由が、最近になってやっと分かった。期待して傷つく自分が嫌だったからだ。
ファイターズの試合を見ていると、例え推しほどではない選手でも、チャンスで凡退するのを見るとガッカリするし、悲しくなる。
自分だけの推しへ期待をかけても、大方活躍できない。悲しみは自分の中で増幅されてしまう。でも、期待をしなければ、例え凡退しても「いつも通りのこと」と捉えられ、自分へのダメージは軽減される。
それは自傷行為であり、怪我ひとつない場所にカッターを滑らせるより、痕が付いた場所をもう一度刃でなぞる方が、痛くないように感じることだ。
推しはプロ野球界に少しだけ爪痕を残して、去った。
私はもう、その痕にナイフを滑らせたくない。
だから声高に、もう推せなくなった推しを推す。
星になった人を想って
今日の昼、親戚が亡くなったとLINEが来た。
もうだいぶ年老いていたし、数年前に足のケガ→化膿→入院→ほぼ寝たきり→認知症、というルートをたどっていたので、長くはないだろうと思っていた。
だから、生き延びた方なんだと思う。改めて生命力の強い家系なんだと思った。
少し遠い親戚には、医者に「余命〇週間」と言われたにも関わらず、僕が差し入れた羊羹1個で生き返った(?)人もいる。去年帰省した時はその人も囲んで焼肉をした。写真も撮った。写っていたから生きている。あと昼から飲むビールは美味しい。
うちのおじいは左手の指(どこかは忘れた)を扉に挟んで動かなくなった位でピンピンしてるし、おばあは喫煙者だけどフツーに生きてる。あとおじいはハゲた。ぼくが幼い頃にはおじいの毛を毟っていたらしい。隔世遺伝が怖い。
両親は大きな病気をしていない。息子は3回入院した。なので私は相対的に病弱ではある。ただ、命に関わるほどでは無い。時折胸は痛むけど。
こんなつよつよ家系なので、物心ついてから葬式に行ったことがない。結婚式もそうなんだけど。
だから、「生きてた頃を知っている人」が「死ぬ」ということの経験がそこまでない。
でも、「ちゃんと生きていた頃」「両足で立ち歩いていた頃」を知っている人が「死ぬ」経験は、物心ついてから2回目だ。
1人は今回の親戚。もう1人は、1年半くらい前に亡くなった、もっと話を聞きたかった親戚だ。
彼には3年くらい前に、品川でご飯をご馳走になった。今でもよく覚えている。叙々苑にはじめて足を踏み入れたし、二次会で飲んだカクテルはとても口に合った。今でも、彼がこの世にいないことが信じられない。
もっと色んな話を聞くべきだった。悔やんでも悔やみきれない、不可逆的な事が、この世には沢山存在する。
***
この度亡くなった親戚は星になったはずだ。しかし夜空を見上げても雲ばかりで、星は全く見えない。
書き始めの頃は見えていた一等星も、気づくと雲に隠れていた。公園にさっきまでいた親子連れは、気づくと姿を消している。
たった一人になった夕闇で、私はくいっと酒を呷った。