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卒業レポート - 推し

※この文章は、文春野球学校内の卒業レポート(注:論文ではない)として公開したものです。

 

 

 

そういえば、推しについて書いたことがない。

みなさんは「推しを推すきっかけになった出来事」を覚えているのだろうか。

私は、覚えていない。

意識しないうちに、気づくと応援していた。説明が難しい。

 

 

推しは高校生ドラフトでファイターズに入団した。甲子園で活躍したスターとして。

しかし、現実はそう上手くはいかないものだ。二軍暮らしが長く、たまに一軍に昇格し代打で登場しても、悉く凡退してしまう。代打で出場も一度もバットを振らずに見逃し三振、ということだって覚えている。

実のところ本塁打は何本か放っているのだが、記憶に残るものはほとんどない。初ホームランがビデオ判定になったことくらいだろうか。

二軍以上一軍未満の実力からずっと抜け出せなかった。そんな彼は、いつしか「二軍の帝王」と呼ばれるようになった。

 

そんな彼を推していた若き日の私は、やがて期待することをやめた。そしていつしか、私は推しを「推さないと装う」行動に出た。

凡退は当たり前。そもそも一軍で打席を与えられることさえ奇跡だし、グッズも全選手対応のものだけで良いと思っていた。だから出場機会でも「どうせ凡退する」と思っていたし、凡退したら「そらみろやっぱり」と叫んだ。

それで自分だけが推しのことを見て、自分だけのものであれば良いと思っていた。これを現代では「同担拒否」と呼ぶのだろうか。

 

 

結局推しは大した活躍もせずにファイターズから戦力外を通告され、トライアウトを経てスワローズへ移籍する。

新天地では、今までの不振が嘘であるかのように活躍した。移籍初年、開幕4戦目でチームの連敗を止める適時打を放つ。大松と共に左右の代打として、試合の重要な局面を任されるようになった。2年目には史上初の開幕カード代打サヨナラ満塁ホームランを打つ。

今までを知る私は、嘘だと思った。でもそれは真だ。「一発で決めたか」という実況は、耳の奥に染みついて離れない。お立ち台でのはじけるような笑顔は、私の眼にはまぶしく映った。

今までが、嘘だったのかもしれない。

 

スワローズファンから救世主という扱いを受ける推しは、自分が知っている推しではなかった。知らない誰かだ。

今まで応援していた自分はなんだったのだろう、という気持ちになった。活躍してほしくない訳ではない。今まで活躍することが殆ど無かったから、活躍ということに慣れていない。

移籍してから、推しが自分以外の人から推されている。その事実が恐怖だった。

自分だけのものじゃなくなった。まるで自分だけが知る埋蔵金が、大衆の目に晒されたかのように。お気に入りの隠れ家レストランが、グルメ番組で紹介されたように。

目立たない推しを推すこと自体がアイデンティティになっていた。推しが目立つようになると、それはアイデンティティではなくなる。喪失感の正体は、きっとそれだ。

 

こんな様では、ただのこじらせファンだ。

 

そんな推しも移籍三年目には出場機会を与えられなくなり、そのまま戦力外。

拾ってくれる球団もなく、金融機関に転職した。個人事業主からサラリーマンへの逆脱サラ。それはただの“サラ”。

なんだかんだ、転職先でも頑張っているらしい、という話を伝え聞く。野球選手から一般企業に就職した実例として、度々メディアに登場する。プロ野球選手OBとして、たまにイベントに出たりする。

 

 

期待をしなくなった理由が、最近になってやっと分かった。期待して傷つく自分が嫌だったからだ。

ファイターズの試合を見ていると、例え推しほどではない選手でも、チャンスで凡退するのを見るとガッカリするし、悲しくなる。

自分だけの推しへ期待をかけても、大方活躍できない。悲しみは自分の中で増幅されてしまう。でも、期待をしなければ、例え凡退しても「いつも通りのこと」と捉えられ、自分へのダメージは軽減される。

それは自傷行為であり、怪我ひとつない場所にカッターを滑らせるより、痕が付いた場所をもう一度刃でなぞる方が、痛くないように感じることだ。

 

推しはプロ野球界に少しだけ爪痕を残して、去った。

私はもう、その痕にナイフを滑らせたくない。

だから声高に、もう推せなくなった推しを推す。