日記とか旅とか。

星になった人を想って

今日の昼、親戚が亡くなったとLINEが来た。

 

 

 

もうだいぶ年老いていたし、数年前に足のケガ→化膿→入院→ほぼ寝たきり→認知症、というルートをたどっていたので、長くはないだろうと思っていた。

 

 

だから、生き延びた方なんだと思う。改めて生命力の強い家系なんだと思った。

 

少し遠い親戚には、医者に「余命〇週間」と言われたにも関わらず、僕が差し入れた羊羹1個で生き返った(?)人もいる。去年帰省した時はその人も囲んで焼肉をした。写真も撮った。写っていたから生きている。あと昼から飲むビールは美味しい。

うちのおじいは左手の指(どこかは忘れた)を扉に挟んで動かなくなった位でピンピンしてるし、おばあは喫煙者だけどフツーに生きてる。あとおじいはハゲた。ぼくが幼い頃にはおじいの毛を毟っていたらしい。隔世遺伝が怖い。

 

両親は大きな病気をしていない。息子は3回入院した。なので私は相対的に病弱ではある。ただ、命に関わるほどでは無い。時折胸は痛むけど。

 

こんなつよつよ家系なので、物心ついてから葬式に行ったことがない。結婚式もそうなんだけど。

 

 

だから、「生きてた頃を知っている人」が「死ぬ」ということの経験がそこまでない。

 

 

でも、「ちゃんと生きていた頃」「両足で立ち歩いていた頃」を知っている人が「死ぬ」経験は、物心ついてから2回目だ。

 

1人は今回の親戚。もう1人は、1年半くらい前に亡くなった、もっと話を聞きたかった親戚だ。

 

 

彼には3年くらい前に、品川でご飯をご馳走になった。今でもよく覚えている。叙々苑にはじめて足を踏み入れたし、二次会で飲んだカクテルはとても口に合った。今でも、彼がこの世にいないことが信じられない。

もっと色んな話を聞くべきだった。悔やんでも悔やみきれない、不可逆的な事が、この世には沢山存在する。

 

     ***

 

この度亡くなった親戚は星になったはずだ。しかし夜空を見上げても雲ばかりで、星は全く見えない。

書き始めの頃は見えていた一等星も、気づくと雲に隠れていた。公園にさっきまでいた親子連れは、気づくと姿を消している。

 

たった一人になった夕闇で、私はくいっと酒を呷った。


f:id:narry_22:20210814204919j:image