君にサヨナラ
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
亀裂が入っていたことには気づいていた。それに見て見ぬふりをしていた自分は、結局終わりの始まりに気づけなかった。
スタバのソファに座って、バレンシアパッションティーを飲んでいる。耳から注ぎ込まれる椎名林檎は、大変な速度で脳を駆け巡る。腕組みをして上を見上げ、「光のような」という言葉を思い浮かべる。ふと、向う側の照明が[⇀]のかたちになっていることに気づく。一方通行の想いは、迂回をしても戻ってこない。その想いはどこへ行ってしまったのだろうか。
使い始めて7年経った格安SIMに別れを告げた。
7年前はまだスマホの通信料が高価な時代。大手キャリアで7GB7000円とかの使用料金は、親には当然反対された。そこで私が目を付けたのが格安SIM、MVNOという存在だった。
ゲームとTwitterとLINEくらいできれば十分な高校時代だったから、月1GBとかでも十分間に合った。
やがて両親も重い腰を上げ、母親は私のお下がりのスマホを、父親はNECのタブレットをそれぞれ使うようになった。それでも3人で12GB3000円くらいだった。格安SIMにより、我々家族はよりコミュニケーションを密に行うことができるようになったし、離れて暮らす家族が繋がれるツールとなった。
時が経ち、大手キャリアが通信容量の増大と価格の引き下げを行いはじめ、格安SIMもそれに追随した。私たちの生活は、インターネットによって、きっと豊かになった。
同じ未来を見続けていると思っていた。それは非常に傲慢で、怠惰な考えだった。
私たちの関係を見直すきっかけは、昨年の出来事だった。
昨年には楽天がモバイル事業に本格参入し、自分は興味本位でそれを使ってみた。東京で使用するには全く問題のない品質だった。通信容量が無制限だったことが一番大きいものだった。私の生活は変化し、外出先でテザリングをしてパソコンを使用したり、サブスクで音楽を聴いたりするようになった。通信容量は増加の一途を辿ったことは言うまでもない。
カフェなどで作業をする私にとって、これのおかげで卒論を書けたといっても過言ではないくらい、生活を変えたものだった。
そして2021年、大手キャリア3社は相次いで20GB3000円のプランを発表する。docomoカケホーダイユーザーでもあった私は、これを機にdocomoのahamoに乗り換えた。今の私の使い方では20GBも使わないんだけど、docomoの電話番号維持にも役立つと考えている。カケホーダイも必要なくなったし。
いま着ているモンベルのTシャツは、確か去年の夏に買ったんだっけな。その頃には身の回りでいろいろなことが起きていたし、身も心も死んでしまった時期だった。無理やりに帰省して、母の美味しいご飯を食べて、美味しい空気を吸って、それでやっと生きていた。瀕死の淵を彷徨って深夜のコンビニに迷い込み、ありったけの酒とつまみを買っていたその頃から比べると、自分も強くなったのかもしれない。
その頃の自分を支えてくれていたのは、格安SIMではなく、楽天モバイルだった。この頃は既に、格安SIMは自分の中で「思い出」になっていた。
思い出は霞むように消えてゆく。砂粒が零れるように。まいにちひとつ、またひとつと、眠い目をこすっても見えなくなる。
これは変わろうとした君と僕との物語だ。
霞んだ思い出を読み返すようにGoogle Photoを漁る。この思い出は、全部君のおかげだった。でも、もう戻れない。
知らぬ間に「奪われていた」自分が重なって見える。結局自分だって神様なんかじゃなかったんだ。
ごめんね。そして、ありがとう。