“青さ”を実感した、あの日
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
私は記憶することがそこまで得意ではない。短期も長期もダメ。だから言われたことをすぐ忘れるし、君と交わした約束は大抵覚えてない。
だから、「記憶に残っている出来事」はあるけど、「記憶に残っている日」はぜんぜんない。
しかし、「はじめて」の日は少しばかり覚えている。
ここは旭川に向かう特急の中。旭川には少し前まで実家があった。
指定席に座って、そういえばセコマのキャンペーンに応募するの忘れてたな、締め切り今日までだったな、なんて考えながら車窓を眺めていた。片手にはスターバックスで買ったアイスコーヒー。カスタマイズで入れたバレンシアシロップは、夏の魔法だ。
眼前を流れる緑の風景は、青い空と白い雲をバックにして映える。そんな青色が主役となる夏の風景が、私は一番好きだ。
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だいたい2年前の9月、私は運転免許を取った。うだる暑さの中、鮫洲まで出かけた。
その3日後に帰省をした。当時は旭川が実家だったから、AIRDOに乗って行ったし、親が迎えに来てくれた。その日は旭山動物園に行った。帰省した時の恒例行事だ。
その翌日、美瑛に行くことになった。両親と。私の運転で。
私の運転で。
もう一度言おう。私の運転で。
え?
免許取って4日目、初心者ほやほやの、お惣菜でいう「できたてシール」が貼られた状態の私の運転で?
鬼では?
子供を崖から落とすタイプの親だったっけ?
首都圏の感覚で考えると、旭川と美瑛は意外と距離がある。旭川駅から25km、車で30分くらい。
両親(ゴールド免許)は「そんなんすぐだよー」なんて笑っていたが、それを近いとみるか遠いとみるかは人それぞれ。私(黄緑免許)(🔰)(MTばっかり運転してたから逆にAT運転してなかった)は遠いと思った。笑うな。てか普通に遠いんだわ。
当日、天気はあまり良くなかった。鼠色の雲が空を覆う中、真っ黒なスイフト(中古)を運転する僕の背中は、運転開始5分にして汗びっしょりだった。
教習所で運転してきた道は埼玉の道。今運転しているのは旭川の田舎道。明らかに後者の方が楽に見えるだろう。
しかしそんなことは関係ない。そもそも運転経験が全然ないのだから、運転するだけで緊張が走る。
「ここ曲がって」「どこ!?」「ここだよ!」「どれだよ見えねぇよ!」みたいな言葉が飛び交う車内は殺伐としていた。たぶん。
助手席や後部座席では見慣れた道でも、運転席に座るだけで視界ががらりと変わる。特に右折するポイントが見えづらい。
夏の田舎道は緑が茂っているから、交差点が本当に見えない。電線は細すぎて遠近感がつかめない。
我が実家のスイフトくんはそんなに新しくない車両なので、ナビなどない。CDプレイヤーとエアコンだけ。「あと何メートル」とか、そんな分かりやすいアドバイスなどしてくれない。
頼りになるのは両親ナビ。ただそれだけ。
運転自体も経験が浅い。今でこそ度重なるレンタカーの運転で多少は慣れたが、当時は免許を取ってすぐ。新品の若葉マークが輝いていた。
走行も速度も安定しない。真っすぐの道でさえ、右に左にヨレる。今はそんなことないよ(2回目)
ないないだらけの中、両親との口論にも近い罵倒合戦を繰り広げた。こんなにいろいろ言ったのは初めてだ。
北海道にしては珍しい、法定速度をきっちり守る黒のスイフトが、真っすぐな北海道らしい道を走っていく。
美瑛の目的地のひとつは、「木のいいなかま」というカフェレストランだった。ログハウス風の建物は、どこか懐かしい木の温もりを感じる。
混雑していた。駐車なんて教習所でしか経験がないから、それだけは父親に頼んだ。
たぶん30分弱は待った。運転後に少しだけ待って食べるグラタンは、いつにも増して美味しかった。まあ普段グラタンは食べないんだけど。
雨が降ったりやんだりの初運転は、心を少し休ませながら続く。今回の目的地は、実は美瑛の市街地ではなかった。美瑛のわりと郊外にある人造湖、「青い池」だ。
「木のいいなかま」から、本当に真っすぐ、15kmほどで辿り着く。ここでも(親が横にいるという)プレッシャーの中、法定速度をきっちり守って森林を駆け抜ける。
途中で雨が降ってくる。教習中に雨にほとんど出会わなかった私は、ワイパー一つ作動させることも自信が無かった。こんなに自分が無力であることを実感させられたのは、なんだか久しぶりだった。
「青い池」は本当に青かった。透明感のある水色の水は、どこか南国のビーチから持ってきたように青かった。ガガーリンみたい。
水は青く見える。海がその代表例。
でも、このような「澄んだ青さ」を湛えた水は、今まで見たことが無かった。
透明感のある水色は、光の加減で濃い青にも薄い水色にも変化していく。それらに共通しているのは「澄んでいる青」ということだった。絵の具を垂らしたとしても、こんな綺麗な湖面にはならない。人間が容易に作り出せない風景が、眼前に広がっている。
湖からまっすぐ伸びる木々は、皆立ち枯れている。美しい湖面に生命を吸いつくされたかのように。
自分の青さについて考えてしまう。自身が青くないと思い込んでいた私は、車の運転に苦慮してここまでたどり着いた。それは、自身がまだまだ青かったということだ。
旅の目的地が絶景であっても、こんなことを考えてしまうのは私の悪い癖。でも、それも“青さ”だと思って、受け入れるしかないのかもしれない。
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そんなことを考えていると、終着旭川のアナウンスが聞こえてきた。私はパソコンを畳んでリュックに仕舞った。今年新しく買ったAVIREXのリュックは、自分史上最高のお気に入りとなっている。色は赤っぽいけど。
鉄道唱歌が流れる中、ガラガラの指定席を立って、扉へと向かう。 君との約束くらいは覚えていたいな、と思いながら、青いパスケースを握りしめた。