夏が終わった──
オリンピックが閉会し、競歩とマラソンが開催された札幌の街は平穏を取り戻しつつある。未だにチカホの壁と柱には大きく「TOKYO 2020」と書かれている。ここはSAPPORO 2021。
北海道は異常なほどの暑さを記録していた。札幌では7月21日から8月7日まで、実に18日連続で最高気温が30度を超えていた。まるでオリンピックの開催に合わせたかのように、夏将軍も本気を出してきた。
北海道の家の多くには冷房がない。今まで必要なかったからだ。30度を超えること自体が稀であったし、夏よりも冬に備える必要があったから。
しかし今はどうだ。断熱防寒性能が非常に高い北海道の家は、夏になっても熱を蓄える。夜になると涼しい風が吹く札幌だが、その涼しい風によって室内まで涼しくなることはほぼない。就寝時室温31℃(もちろん窓は開いている)の我が家、起床時には29℃までしか下がっていない。寝苦しいことこの上ない。ないないだらけ。
でも私は、なぜか眠れてしまうのである。布団に横たわったら最後、ぐーすかである。
ただし二度寝はできない。この時点で暑さ>眠気になってしまう。私調べ。
そんな異常な「北海道の夏」だが、たぶんもう終わった。
今これを書いている8月9日夜、札幌は雨、20℃だ。
この先10日間の最高気温は25℃を超えない予報。最低気温は10℃台にまで落ち着く。
北海道の夏、オリンピック期間に本気を出し過ぎてしまう。
天候ジェットコースター。気圧も急降下するし、体調も崩しやすくなる。
もう1つ、夏が終わったと表現する理由がある。
“夏らしい事”を一つもしなさそうだ、というものだ。
このままだと四季がないニンゲンになりそう。
花火も祭もない。アイスはあまり食べないし、海にひとりで行く勇気はない。君の浴衣姿は遥か彼方だ。
このまま秋に突入してしまうだろう。自分を理解した気になっているので、きっとそうなるだろうという予測がつく。行動パターンの根底には「めんどくさいか否か」というものがある。
秋になればいい。葉は色づき、収穫祭がはじまる。汗のことを考えなくてもいい。
冬になればいい。街は白めき、世界が閉ざされる。雪が綺麗と笑うのは君がいい。
でも、このままずるずる行ってしまいそうなのである。“現状維持”のまま一生を過ごしてしまいそうな、そんな焦燥感に今から駆られている。
変化は好きだ。しかしその変化の多くは外発的要因によるものが殆どで、内発的であったことはそこまで多くない。
安寧の方が好きなのだ。明日が見えている方が安心して夜を超えられるのだ。
変わらなきゃな、と思う自分はまだ半分だけだ。
ずっとこのまま、という嘯きは終ぞ消えてゆく。
色んなアーティストの音楽を聴くことが増えた。
最近は「ハニカムベアー」というアーティストが好きになりつつある。
「さよならの支度」を聴いて泣きそうになっている。
きっと、ストーリー性を持つ音楽が好きなのだ。
10日連続で公開される新曲の9日目。一番儚い時間が流れてゆく。
この先どうなってしまうんだろう、というワクワク感と、このまま終わらないで欲しい、という願望がごちゃ混ぜになる。窓から吹き込む涼しい風が、左腕を撫でて通り過ぎる。どうかこのまま、という叫びは、きっと虚空に消えてしまう。
新しいアルバムはHappyENDと云うらしい。例えば自分の人生で、「HappyEND」を迎えるとしたらどの時点だろう、と考えてしまう。
ゴールはスタート。でも、ゴールを迎えられなければ永遠にHappyになれない。堂々巡りの思考は、窓から入ってくる雨粒にかき消される。
そういえば雨が降っているんだった。少し寒くなった部屋で、私は窓をぴしゃりと閉めた。
“青さ”を実感した、あの日
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
私は記憶することがそこまで得意ではない。短期も長期もダメ。だから言われたことをすぐ忘れるし、君と交わした約束は大抵覚えてない。
だから、「記憶に残っている出来事」はあるけど、「記憶に残っている日」はぜんぜんない。
しかし、「はじめて」の日は少しばかり覚えている。
ここは旭川に向かう特急の中。旭川には少し前まで実家があった。
指定席に座って、そういえばセコマのキャンペーンに応募するの忘れてたな、締め切り今日までだったな、なんて考えながら車窓を眺めていた。片手にはスターバックスで買ったアイスコーヒー。カスタマイズで入れたバレンシアシロップは、夏の魔法だ。
眼前を流れる緑の風景は、青い空と白い雲をバックにして映える。そんな青色が主役となる夏の風景が、私は一番好きだ。
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だいたい2年前の9月、私は運転免許を取った。うだる暑さの中、鮫洲まで出かけた。
その3日後に帰省をした。当時は旭川が実家だったから、AIRDOに乗って行ったし、親が迎えに来てくれた。その日は旭山動物園に行った。帰省した時の恒例行事だ。
その翌日、美瑛に行くことになった。両親と。私の運転で。
私の運転で。
もう一度言おう。私の運転で。
え?
免許取って4日目、初心者ほやほやの、お惣菜でいう「できたてシール」が貼られた状態の私の運転で?
鬼では?
子供を崖から落とすタイプの親だったっけ?
首都圏の感覚で考えると、旭川と美瑛は意外と距離がある。旭川駅から25km、車で30分くらい。
両親(ゴールド免許)は「そんなんすぐだよー」なんて笑っていたが、それを近いとみるか遠いとみるかは人それぞれ。私(黄緑免許)(🔰)(MTばっかり運転してたから逆にAT運転してなかった)は遠いと思った。笑うな。てか普通に遠いんだわ。
当日、天気はあまり良くなかった。鼠色の雲が空を覆う中、真っ黒なスイフト(中古)を運転する僕の背中は、運転開始5分にして汗びっしょりだった。
教習所で運転してきた道は埼玉の道。今運転しているのは旭川の田舎道。明らかに後者の方が楽に見えるだろう。
しかしそんなことは関係ない。そもそも運転経験が全然ないのだから、運転するだけで緊張が走る。
「ここ曲がって」「どこ!?」「ここだよ!」「どれだよ見えねぇよ!」みたいな言葉が飛び交う車内は殺伐としていた。たぶん。
助手席や後部座席では見慣れた道でも、運転席に座るだけで視界ががらりと変わる。特に右折するポイントが見えづらい。
夏の田舎道は緑が茂っているから、交差点が本当に見えない。電線は細すぎて遠近感がつかめない。
我が実家のスイフトくんはそんなに新しくない車両なので、ナビなどない。CDプレイヤーとエアコンだけ。「あと何メートル」とか、そんな分かりやすいアドバイスなどしてくれない。
頼りになるのは両親ナビ。ただそれだけ。
運転自体も経験が浅い。今でこそ度重なるレンタカーの運転で多少は慣れたが、当時は免許を取ってすぐ。新品の若葉マークが輝いていた。
走行も速度も安定しない。真っすぐの道でさえ、右に左にヨレる。今はそんなことないよ(2回目)
ないないだらけの中、両親との口論にも近い罵倒合戦を繰り広げた。こんなにいろいろ言ったのは初めてだ。
北海道にしては珍しい、法定速度をきっちり守る黒のスイフトが、真っすぐな北海道らしい道を走っていく。
美瑛の目的地のひとつは、「木のいいなかま」というカフェレストランだった。ログハウス風の建物は、どこか懐かしい木の温もりを感じる。
混雑していた。駐車なんて教習所でしか経験がないから、それだけは父親に頼んだ。
たぶん30分弱は待った。運転後に少しだけ待って食べるグラタンは、いつにも増して美味しかった。まあ普段グラタンは食べないんだけど。
雨が降ったりやんだりの初運転は、心を少し休ませながら続く。今回の目的地は、実は美瑛の市街地ではなかった。美瑛のわりと郊外にある人造湖、「青い池」だ。
「木のいいなかま」から、本当に真っすぐ、15kmほどで辿り着く。ここでも(親が横にいるという)プレッシャーの中、法定速度をきっちり守って森林を駆け抜ける。
途中で雨が降ってくる。教習中に雨にほとんど出会わなかった私は、ワイパー一つ作動させることも自信が無かった。こんなに自分が無力であることを実感させられたのは、なんだか久しぶりだった。
「青い池」は本当に青かった。透明感のある水色の水は、どこか南国のビーチから持ってきたように青かった。ガガーリンみたい。
水は青く見える。海がその代表例。
でも、このような「澄んだ青さ」を湛えた水は、今まで見たことが無かった。
透明感のある水色は、光の加減で濃い青にも薄い水色にも変化していく。それらに共通しているのは「澄んでいる青」ということだった。絵の具を垂らしたとしても、こんな綺麗な湖面にはならない。人間が容易に作り出せない風景が、眼前に広がっている。
湖からまっすぐ伸びる木々は、皆立ち枯れている。美しい湖面に生命を吸いつくされたかのように。
自分の青さについて考えてしまう。自身が青くないと思い込んでいた私は、車の運転に苦慮してここまでたどり着いた。それは、自身がまだまだ青かったということだ。
旅の目的地が絶景であっても、こんなことを考えてしまうのは私の悪い癖。でも、それも“青さ”だと思って、受け入れるしかないのかもしれない。
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そんなことを考えていると、終着旭川のアナウンスが聞こえてきた。私はパソコンを畳んでリュックに仕舞った。今年新しく買ったAVIREXのリュックは、自分史上最高のお気に入りとなっている。色は赤っぽいけど。
鉄道唱歌が流れる中、ガラガラの指定席を立って、扉へと向かう。 君との約束くらいは覚えていたいな、と思いながら、青いパスケースを握りしめた。
君にサヨナラ
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
亀裂が入っていたことには気づいていた。それに見て見ぬふりをしていた自分は、結局終わりの始まりに気づけなかった。
スタバのソファに座って、バレンシアパッションティーを飲んでいる。耳から注ぎ込まれる椎名林檎は、大変な速度で脳を駆け巡る。腕組みをして上を見上げ、「光のような」という言葉を思い浮かべる。ふと、向う側の照明が[⇀]のかたちになっていることに気づく。一方通行の想いは、迂回をしても戻ってこない。その想いはどこへ行ってしまったのだろうか。
使い始めて7年経った格安SIMに別れを告げた。
7年前はまだスマホの通信料が高価な時代。大手キャリアで7GB7000円とかの使用料金は、親には当然反対された。そこで私が目を付けたのが格安SIM、MVNOという存在だった。
ゲームとTwitterとLINEくらいできれば十分な高校時代だったから、月1GBとかでも十分間に合った。
やがて両親も重い腰を上げ、母親は私のお下がりのスマホを、父親はNECのタブレットをそれぞれ使うようになった。それでも3人で12GB3000円くらいだった。格安SIMにより、我々家族はよりコミュニケーションを密に行うことができるようになったし、離れて暮らす家族が繋がれるツールとなった。
時が経ち、大手キャリアが通信容量の増大と価格の引き下げを行いはじめ、格安SIMもそれに追随した。私たちの生活は、インターネットによって、きっと豊かになった。
同じ未来を見続けていると思っていた。それは非常に傲慢で、怠惰な考えだった。
私たちの関係を見直すきっかけは、昨年の出来事だった。
昨年には楽天がモバイル事業に本格参入し、自分は興味本位でそれを使ってみた。東京で使用するには全く問題のない品質だった。通信容量が無制限だったことが一番大きいものだった。私の生活は変化し、外出先でテザリングをしてパソコンを使用したり、サブスクで音楽を聴いたりするようになった。通信容量は増加の一途を辿ったことは言うまでもない。
カフェなどで作業をする私にとって、これのおかげで卒論を書けたといっても過言ではないくらい、生活を変えたものだった。
そして2021年、大手キャリア3社は相次いで20GB3000円のプランを発表する。docomoカケホーダイユーザーでもあった私は、これを機にdocomoのahamoに乗り換えた。今の私の使い方では20GBも使わないんだけど、docomoの電話番号維持にも役立つと考えている。カケホーダイも必要なくなったし。
いま着ているモンベルのTシャツは、確か去年の夏に買ったんだっけな。その頃には身の回りでいろいろなことが起きていたし、身も心も死んでしまった時期だった。無理やりに帰省して、母の美味しいご飯を食べて、美味しい空気を吸って、それでやっと生きていた。瀕死の淵を彷徨って深夜のコンビニに迷い込み、ありったけの酒とつまみを買っていたその頃から比べると、自分も強くなったのかもしれない。
その頃の自分を支えてくれていたのは、格安SIMではなく、楽天モバイルだった。この頃は既に、格安SIMは自分の中で「思い出」になっていた。
思い出は霞むように消えてゆく。砂粒が零れるように。まいにちひとつ、またひとつと、眠い目をこすっても見えなくなる。
これは変わろうとした君と僕との物語だ。
霞んだ思い出を読み返すようにGoogle Photoを漁る。この思い出は、全部君のおかげだった。でも、もう戻れない。
知らぬ間に「奪われていた」自分が重なって見える。結局自分だって神様なんかじゃなかったんだ。
ごめんね。そして、ありがとう。
正しい空
昨日までの陽気は嘘のように、札幌は初春に逆戻りしたような天気だった。
重たそうな雲が空を覆う。雨予報だったにも関わらず少ししか降らなかったのは、まだ幸いだったかもしれない。
泣きそうな寒空の下、小石を蹴っ飛ばして歩けないことに気づいた。社会人になってしまった今、仕事外でも常に「正しさ」が求められているような気がしている。少し窮屈かもしれない。
どこで誰が見ているか分からない。壁に耳あり障子にメアリー、とも言う。見えない視線の意識は増えたような気がする。イマジナリー視線。これが責任というものだろうか。
仕事終わりにカフェに寄った。温かいソイラテを注文し、読みかけの本を読み切ろうと決意した。
読み終えた時、自分には疲弊感しか残っていなかった。物語が空っぽだったわけではないのだが、物語の中の物語が空っぽで、いままで読んできた数百ページに落胆を覚えた。決して本を批判することではないのだが、無力感のような、ため息しか出てこないような、そんな「何とも言えない気持ち」になっていた。
ソイラテを啜る。今日のソイラテは、フォームが一段ときめ細かであった。
彼らの「正しさ」とは一体何なのだろう。物語に出てきた登場人物に思いをはせる。彼らなりの「正しさ」そのものが主観で、それを客観視できないことは知っている。
常に求められている正しさが習慣化すれば、特段意識しなくても問題ないのだと思う。それが一般的な行動に表出しなくても。
自分の「正しさ」が、世間一般でも正しいと思われているかは、また別問題である。だんだん正しさが分からなくなってくる。
自分のこんなところが近寄りがたい雰囲気を作り出すのだろうか?と自省している。中身もないような概念ばかりこねくり回す、そんなところに呆れ返った人がいるかもしれない。周囲からの視線を気にしないといった傍ら一貫性がないように見えるが、周囲が自分に向ける視線とか雰囲気は感じ取ってしまうものである。
自分と周囲に一線を引かれているような気がする。あまり良い事ではない。
カフェを出て、重空に向かって歩く。18時を過ぎてもまだ街は明るく、暦が夏に向かっていることを実感させる。でも今日は冷え込むから、ちゃんとお風呂に浸かろう。昨日までの夏はきっと幻だった。春はいつ来るのだろうか。
私はそう思って、イヤホンを耳に押しこんだ。
ポジティブに生きることと、さよならを告げること。
知っているひともいるだろうが、私は北海道に移住をした。私は北海道出身だから、ある意味でUターンだ。
しかし、一般的なUターンではない。一般にUターンは、進学もしくは就職で地方を離れた人が、一定期間都市で生活をし、自分の出身地方に戻ることを指す。というか、それ以外でのUターンはほとんど見かけないだろう。
私は、小学生の途中から東京で暮らし始めた。北海道出身をセールスポイントにしていながら、10年以上も東京で生活していた。「北海道出身なんです」『じゃあ高校は北海道?』「あ、いや、かくかくしかじかで……」というやり取りにはもう慣れたし、別に苦ではない。
私の半分は東京でできている。食品成分表示では真っ先に「東京」と書かなければならない。
結論を言おう。東京で生活ができて本当に良かった。
もし北海道でずっと生活していたとしていたら、今の「なりー」にはなっていなかった。あくまで“たられば”だが、きっとそうだ。
たくさんの価値観に支えられた。自分の視野が広がった。色んなものを見聞きした。それらすべてが自分の成分になっている。様々な経験は、自分への教訓をもたらした。
本当は、北海道にもう少し早く帰る予定だった。大学進学を機に北海道に戻ろうとしていたのだ。
しかし、それはうまくは行かなかった。最初はそれをネガティブに考えていた。
ふたを開けてみると、東京での大学生活は非常に“良かった”。多くのコミュニティに恵まれ、自分が勉強したいこともできた。それは自分にとって、確実にプラスだった。
少し前まで、「東京を捨てる」というような後ろめたい感情があったような気がする。友人に「北海道行かないでよ」と引き留められたこともあるし、北海道に移住する一番の理由がなくなったこともある。
北海道への渇望がありながら、多くの視点があった結果の思考だ。色んな事を考えすぎると、前に進めなくなる。そんなこと、自分が一番知っている。
だから、ポジティブに考えた。
東京は私を成長させた。私を私たらしめた。それは間違いのないことだ。
対人関係でポジティブに生きることができるようになったのは、自分が傷つくことをたくさん経験したからだ。当時はとても辛かったけど、「気にしない」というスキルを手に入れることができた。
他人がどう思っているかなんて、気にしたら死ぬ。他人は意外と自分のことを見ていない。
辛い思いをしなければこうはならない、というものでもないと思う。しかし、辛い思いをした対価のスキルくらいは欲しい。
やっと、「さよなら」が言えるようになったかもしれない。東京から離れたって、東京に行くことはいつでもできる。昔と違って、今は連絡する手段がたくさんある。だから、「さよなら」。
つぶやく内容がない
遂に社会人になった。社怪人。
東京を離れてから1か月半、働き始めて1か月。気が付けば23歳、独身。
@narry_22でつぶやく内容がなくなってしまった。内容がないよう。
フォロワーはリアルでの繋がりが“あった”人ばかり。大学というコミュニティから出て、学校にはあまり顔を出さない幽霊部員になっている。
週のうち5日は働く生活。ちゃんと定時で帰ることはできているが、「その日起きたこと」の大半は仕事関連だし、その辺は自衛の意味も込めて発信したくない。
じゃあ、なにをつぶやけはいいんだろう。7年目のアカウントにして初めて、この問題にぶち当たるのである。
カメラの話題だって反応してくれる人はごくわずかだし、ネタ的投稿をしてた過去は嘲笑われた経験がある。野球は別の場所があるし、日常を華やかにするほど余裕のある生活ではない。
物書きってむずかしい。
そういう意味では、Instagramの方が幾分扱いやすい気がする。写真が趣味な僕は、「とりあえずストーリーに写真投げとけばいいや」という感覚で投稿しているのかもしれない。そっちの方が人が多いと思う。フィードは全然更新してないけど。
いずれフィードにも写真をアップするはず。準備を地道に行ってるとこ。
ブログはたまに書くと思う。遠出は全然できないから、沢山書くことはできないけど。
【閉業した】無料でサッポロクラシック・99.99飲み放題!ホテルWBFフォーステイ札幌に泊まってみた
数日前、札幌での宿泊先を探していた矢先、こんなツイートを見かけた。
今回泊まるホテル、ホテル会員(無料)になるとホテルラウンジ使えるんだけど、サービスが良い意味でやばい。
— まよにゃん (@shibuTonoll) 2021年3月1日
サッポロクラシック飲み放題、99.99飲み放題、フリーおつまみやチョコも全部無料。
しかもホテル代は2泊3日で1人4,400円。
ホテルWBFフォーステイ札幌って言うんですけどね pic.twitter.com/pIUVjCnu8W
サ ッ ポ ロ ク ラ シ ッ ク 飲 み 放 題 ? ?
マジ?
という訳で泊まりました。ホテルWBFフォーステイ札幌。
結論から言います。ビジホの値段できれいなホテルに泊まれて、クラシックは本当に飲み放題だった。神じゃん。
予約
予約はホテルWBFのサイトから行う。ホテルラウンジを無料で利用するためにはClubWBFへの登録が必須になる。公式の予約サイトから予約するのが確実だ。
ちなみに、ClubWBFは2021年12月末で会員制度そのものが終了してしまう。それ以降のラウンジ利用は、有料になる公算が高そうだ。
「ClubWBF」会員制度終了に伴う各種会員サービスの終了スケジュールに関するお知らせ | ホテルWBFグループ【公式サイト】
今回は幸運にもタイムセールで予約できた。驚異の35%OFF。高層階のクイーンダブルが1人3泊で計1万円ほど。1泊あたり3400円。マジ?マジなんです。
宿泊
で、昨日チェックインした。
ホテルはキレイ。アクセスもそれなりにヨシ。部屋も綺麗。だって2019年12月に建ったばかりの新築ホテルだから。
部屋の設備も一通りそろっている。デスクは狭い方なので、作業をするには少しばかり難儀するかも。
加湿器も完備。衣類脱臭機能は付いているが、空気清浄機能はなさそうな感じ。
ダブルルームだから、部屋の椅子はデスクに1つ+それ以外に2つ。椅子が多いと荷物置きにできるのでありがたい。
水回りも充実。使い捨てスポンジや厚めのタオルではなく、体洗い専用のタオルがあることは、個人的にポイントが高い。
シャンプーリンス等はDHCのもの。ハンドソープはフォームタイプではなかった。
ベッドボードには、AC100VコンセントとUSBコンセント・DC5V 2Aが2つずつ。AC100Vは1つのコンセントあたり600Wだけど、スマホ充電には全く問題ないだろう。部屋の電気もここで操作できるため、非常に便利だ。
ルームウェアが上下で分かれていることも◎ポイント。はだけにくいし、割と動きやすい。
一般的なホテルとの相違点は、VODが導入されていないこと。しかし中の人、VODは使ったことないので、さほど困らないかなって思います。
で、ラウンジは?
1日目の夜は到着が遅かったので、2日目(つまりこれを書いている時)にラウンジを利用した。
ラウンジは15時から21時まで利用でき、17時からアルコールの提供が開始される。
平日、私がラウンジに行った段階で、利用者は私の他にひとりだけ。広々と利用できた。
入り口には、会員種別と人数を記入する台があり、利用者はそれに記入してから利用することになる。ラウンジ入口横には、コーヒーマシンとアルコールサーバー。利用者がグラスを置いてボタンを押すと、注いでくれる仕組みだ。コーヒーは(おそらく)ホテルに宿泊する人は全員利用できそう。
泡の比率が若干多いが、マシンだから仕方ない。99.99は氷を自分で入れるのだが、その量に注意しないと溢れそうになる。仕方ない。
やっぱりクラシックは美味しい。全人類はサッポロクラシックを飲もう。
このラウンジ、他にもミネラルウォーターやお茶、おつまみやお菓子などが置いてあり、利用者は自由に飲み食いできるようになっている。
座席間隔も広めだ。カウンター席もテーブル席も、座席数が半分になっている。隣のことを気にせずに利用できそうだ。他の利用者は途中で帰ったので、これを書いている時には既にひとりぼっち。
このラウンジを使わないの、(特にサケクズにとって)非常にもったいなくない???って思う。
クラシックは350缶で200円くらいするし、お店で飲んだらもっと高い。もちろんラウンジだからそれ相応の振る舞いは求められるし、これらの飲食物を部屋に持って帰ることはNG。たぶんラウンジに食べ物を持ち込むのもダメな気がする。明示されてなくても、控えた方がいい類のもの。
しかし、酒を飲みたい人にとっては本当に最高の環境だ。Wi-Fiも飛んでいて動画視聴もできる。カウンター席はコンセント完備なので、充電しながら作業ができる。欠点を強いて言うなら、冬の間は外気によって室温が下がりやすいこと。それを許容できるなら、このラウンジは本当におすすめ。おさけおいしい。
アクセス・周辺施設
ホテルWBFフォーステイ札幌は、札幌駅と少しだけ離れている。チカホを利用しても15分はかかるだろう。
すすきのや大通エリアにほど近い。歩いても行けるし、地下鉄で1駅か2駅乗っていくことも出来る。
ホテルの目の前には、「串鳥 札幌中央店」がある。串鳥は北海道を代表する居酒屋チェーンで、美味しい焼き鳥が食べられる。トリキより安い。個人的おすすめは「もちベーコン」。
2分ほど歩くと、餃子とカレーの「みよしの 狸小路店」がある。道民のソウルフードを賞味したいならぜひここ!おすすめはぎょうざカレー。カレーのトッピングがぎょうざという、インパクト抜群だがちゃんとおいしい逸品だ。
セイコーマートも徒歩圏内、みよしのの近くにある。ホットシェフ(店内調理設備)完備の店舗なので、できたてのお弁当やスナックを食べることも可能だ。セコマのおすすめはチルドの焼き鳥。さっきから焼き鳥の話しかしてない。生まれ変わったら君の猫になりたい
すすきのも近いので、YOASOBIしたい人はすすきのに行こう。僕はそこまで夜に駆けないので、部屋でのんびりします。
結局串鳥に行きました。知ってた。